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はじめに インクルーシブ教育と分離・特殊教育の相剋 インクルーシブ教育と特別支援教育の連携の可能性 最後に…… |
今教育の現場では、インクルーシブ教育が話題となっている。話題と言っても、なまじ興味本位の話のネタになっているのではなく、ある種の現場の混乱や親を交えた摩擦にもなりはじめている。そこには、これまで培ってきた特殊教育・特別支援教育、障害種別の教育と新たな制度としてのインクルーシブ教育が招いた教育現場の混乱とも言える。ここでは、この問題を鋭く説いた黒田一雄氏(早稲田大カウ大学院アジア太平洋研究科教授)の「インクルーシブ教育のグローバルアバナンスと特別支援教育―その相剋と連携可能性―」の論文の一部を抜粋加筆し紹介し、インクルーシブ教育の理解の一助となればと願っている。
インクルーシブ教育が公に承認されたサラマンカ声明以降、インクルーシブ教育が各国に導入されていった。その後、ユネスコが整備した政策ガイドラインにおいて、インクルーシブ教育は「教師と学習者が多様性を積極的に評価し、問題としてではなく、挑戦や豊かさと捉えることができるような状況を意図する」ものとし、「インクルージョンは、学校を一方向の押しつけの学習形態から、体験を基とした活動的で協働的な学習を重視する方向に変容させる」、「生徒のダイバーシティを高めることによって、学習の質は向上する」というような主張がなされた。一方で、このような考え方に基づいて進められるインクルーシブ教育の政策導入に対して、教育現場からは生徒のダイバーシティは果たして教師にとって、そして教育の質にとって「問題」があるのではないかとの疑義が寄せられた。これは、非障害児を教える通常の学級の側からだけではなく、障害児を教える特殊教育の側、特に盲聾教育のような長い歴史を有する障害種別の教育の立場や障害当事者からも、同様の疑義が寄せられている。
ことの重要性を深刻に受けとめ、このような疑義に対して、インクルーシブ教育と分離・特殊教育の学習成果を比較した実証研究がパブリシティとして報告された。障害児を対象とした一連の実証研究の報告は、そのほとんどがインクルーシブ教育の方が分離・特殊教育より優越した教育効果を確認していた。以下、その例を紹介する。
- インクルーシブな学級・学校に在籍する重度障害児は、分離された学級・学校に在籍する同様の障害児よりも発達能力が同時期大幅に伸長したという。(米国)
- 分離された特殊教育を受けている障害児は、学力において通常学級で学ぶ障害児に比べ、遅れをとっているという。(オランダ)
- 入学初年度に通常学級に在籍しながら特別プログラムを受講した特別支援を必要とする生徒は、特別支援学級のみで指導を受けた生徒よりも、明らかに早い進歩を示したという。(ノルウェー)
- 認知能力だけでなく、障害児の非認知的学力・社会行動に対するインクルーシブ教育の効果についても、インクルーシブな教室で学ぶ学習障害生徒は、プルアウトプログラム(特別学級)で学ぶ生徒よりも成績が良く、標準化されたテストで高いか、または同等のスコアを達成し、より多くの日数出席している。(米国)
- よりインクルーシブな環境に置かれた障害児は、特別支援学級に在籍する障害児と比べて社会的・情緒的機能がより肯定的であり、友達との関係により満足し孤独感が少なく、問題行動も少ないという。(カナダ)
- 自己概念(self-concept)については、インクルーシブ教育に通う生徒は、特別支援学校に通う生徒よりも自己概念が高く(自分に対して肯定的で)より多くの社会的支援を受けているという。(スロベニア)
- 通常の学校で指導を受けている学習障害の生徒は、特別支援学校に通う学習障害の生徒と比較して、低い自己概念を示したという。(米国)
- 一方、非障害児の学力向上にとってのインクルーシブ教育の効果についても、数多く肯定的な実証研究が示されたという。(イギリス・アメリカ)
- 通常学級において、特別なニーズを持つ生徒の数が増えると、特別なニーズを持たない生徒の成績が良くなるという。(カナダ)
- 多くの実証研究は、非障害児にとって、インクルーシブな教育環境と非インクルーシブな教育環境の間に学習成果の差がないという。(米国・オランダ・英国)
以上のことから、全体としてはインクルーシブ教育の学力向上に対する効果は実証的に確認されたといえる。このような一連の実証研究の結果は、各国におけるインクルーシブ教育の政策的導入の、教育・機能的な根拠としえ活用された。
しかし、実証研究のほとんどすべてが先進国において行われたものであり、途上国における十分に実証的な研究はほとんど存在しない。このような状況からも、途上国のコンテキストにおいては教育リソースが限られ、インクルーシブな教育環境の提供が、必ずしも十分な追加的支援とともになされない状況の中で、果してインクルーシブな教育は先進国でのように機能するのかという疑問が当然出てくる。
特に障害児教育の現場からは、これらの動きは支配的なイデオロギーとしての「インクルーシブ教育」に障害児を《押し込めよう》とする危険性を有しているのではないか、とう批判が寄せられた。これまで障害児のために作られてきた特殊教育・特別支援教育を、障害児・障害者の弱い社会的立場や差別的状況の構造的な原因とする批判的・対立的なとらえ方に対しては、実際の障害児教育の現場からは相当の違和感があったと言える。
しかし一方、インクルーシブ教育が、社会的インクルージョンのための有効な方策であることは説得力を有している。教育におけるインクルージョンは、徐々に社会をインクルーシブな状況に変容させていく、また長期的な社会改革の手段として重要なアプローチであり、その実現のためには、これまで培われてきた特殊教育・特別支援教育・障害種別の教育をどのようにインクルーシブ教育に橋渡しし、その進路に活用していくのかという視点も重要であることは一考に値する。
そのための方向性として、次の4つのインクルーシブ教育と特別支援教育の連携や補完的役割分担の可能性を整理してみた。
- ① インクルーシブ教育の「逃げ場」としての特別支援教育
通常学級では、どうしても対応できない児童の教育の権利の確保のために、特別支援学校・特別支援学級を存在させるという考え方である。しかし、これは、障害児の「逃げ場」であっても、教師の「逃げ場」であってはならない。あくまでも、どちらの場で教育を受けるかは、障害児・特別なニーズを有する学習当事者が決めることができる状況をつくることが必要である。 - ② インクルーシブ教育と並走する特別支援教育
通常の学校内に特別支援学級やリソースルームを設け、もしくは通常の学校と特別支援学校が連携することによって、「交流」や「通級」を通じて、現実的なインクルージョンを達成していくという方法である。
※①②の方法は、日本を含む多くの国において既に実践されているインクルーシブ教育の政策的導入の特別支援教育の位置づけとなる。
- ③ インクルーシブ教育の準備段階としての特別支援教育
例えば、視覚障害児が通常の学級において有効に教育を受けるためには、通常の学級に最初から彼らを押し込めるのではなく、点字の読み書きについてのある程度の習熟を目的とした特別支援教育を提供するという方法が考えられる。障害児にとって、通常学級に通う前のトレーニングの場として、特別支援教育の位置づけである。しかし、この場合も、特別支援教育はあくまでも準備過程であり、その後に通常学級へのアクセスがあることを常に想定した形での役割分担・合意が必要となる。 - ④ インクルーシブ教育を支える知的リソースとしての特別支援教育
特に、障害種別の教育手法に関して、特別支援教育が培ってきたキャパシティをいかにして通常の教育の現場に共有していくかが、インクルーシブ教育推進の成否を左右する。ただ、その共有の仕方には様々な形態が考えられる。例えば、特別支援教育のトレーニングを受けた教員が支援教員として、通常の学級にいる障害者を支援するというのが、最も典型的な形態であろう。もしくは、通常の教員の教員研修・教員養成の内容に障害種別の教育の知見を入れていくことなどもその選択肢となるだろう。
インクルーシブ教育が国際社会からのトップダウンのイデオロギーとしてではなく、各国における教育に関する社会的文化的伝統に対して、十分な柔軟性をもつ政策理念として、各国政策に受け入れられることが重要である。インクルーシブ教育と特殊教育・特別支援教育の模索にもまた、柔軟さと現地適合性が求められるインクルーシブ教育と特別支援教育を二律背反的な教育方法と捉えるのではなく、特別支援教育や障害種別の教育において培われた人材や知見を、インクルーシブ教育推進に活用するようなアプローチをとることが、インクルーシブ教育の教育方法としての有効性を高めることにつながる。そして、21世紀型スキル等の未来の学力観に関する国際的議論に、グローバル化・多様化する社会に処する人材は、多様性を前向きにとらえるインクルーシブ教育においてこそ育むことができるという考え方を訴えていく必要があるのではあるまいか。